ちいたなに語彙力をください

曲のこととかいろいろ

ボカロPとリスナーの関係

こんにちは、ちいたなです。

前にブログを書いた時はまだ暑さもあり、なんだかんだ秋は遠いなぁと感じていたのですが

気が付けば秋も半ばに差し掛かり、そろそろ冬がやってくる季節ですね。

冬と言えば、僕はクリスマスが大好きな少年(おじさん)なのです。

というか、クリスマスソングが好きです。なんかわくわくするんですよね。

クリスマスって恋人がいないとリア充爆発しろとかよく言いますけど...

クリスマスにプレゼントを買ったりデートをしたり、美味しいディナーを食べたり

経済を回してるのはリア充の方々なんですよね。

むしろ爆発するべきなのはリア充を妬む非リアの方なのでは???????

というわけで今年もクリスマスは家でセルフ爆発しようと思います、ありがとうございました。

 

 

冗談はさておき、今回のテーマに入ろうと思います。

ありがたいことに、我々ボカロPにはファンと呼ばれる方々がいます。

僕は個人的にファンという言葉がむずがゆいので、ここではリスナーと表していきます。

曲を作るボカロPと、その人の曲を好きで聞くリスナー

今回はこの関係性について考えていきたいと思います。

 

 ボカロPとリスナーは対等であるべき

Twitterを見ているとたまに流れてくる話題の一つ。

かなり前から言われている、いわゆる衰退論ですね。

ボカロが衰退したのはAだから、Bだから、様々な見解があるようです。

その中で目についたのが、『ボカロPがいい曲を作らなくなったから』や『リスナーの耳が肥えたから』などなどです。

時代が進むにつれて音楽のクオリティが上がっていくのは当たり前で、それを聞く側の耳が肥えていくのも当たり前ではないでしょうか。

一昔前のアニメと今のアニメの作画に差があり、視聴者も作画にどんどん厳しくなっていく傾向と同じだと思います。

 

ここで僕が問題視しているのは、衰退の原因を与える側、もしくは与えられる側に押し付けると、衰退は加速していく一方だということです。

特に、ボーカロイドというコンテンツは、ユーザーによって成り立っている文化ということを忘れないでいただきたい。

曲を作るPが減ればリスナーは良い曲を聞ける機会が減り、リスナーが減れば曲を聞いてもらえる機会が減ります。

与える側が企業のアニメ界隈と違い、ボーカロイド界隈はユーザー同士のコミュニティなんです。

つまり、ボカロPとリスナーに優劣はなく、どちらも対等な関係であるべきというわけですね。

この記事を見ているボカロPさんやリスナーの方は、おそらくボカロがかなり好きな方だと思います。

もし、ボカロが衰退してきてる、勢いがなくなってると感じる方がいたら、各々の立場でできることを探して行動していきましょう。

ボカロってやっぱ楽しいじゃん。

 

 

リスナーの質はボカロPの質でもある

ボカロPが有名になればなるほど、リスナーの数は増えていきます。

そのリスナーが全員同じ思考を持っているわけもなく、一人一人考え方も違えば性格も違うわけです。

中には多方面に迷惑をかけてしまうリスナーもいます。

 

例えば、名前をよその動画にコメントしたり、盲目的に持ち上げすぎたりなどなど。

ボカロP自体は何もしていなくても、見えないところで自分のリスナーをきっかけに評価を落とすこともあるわけです。

本来であれば、これはリスナーが気を付けて立振る舞うべきなのですが

このようなタイプのリスナーは悪意がないことが多く、自分が迷惑をかけてることに気づいていない場合があります。

ボカロリスナーは全体的に若年傾向があるので、まだ何が正しくて何が悪いのか区別がつかない方も多いと思います。

もし、自分のリスナーがそういう目につくような行動をしていたら、迷わず注意を促してあげるべきかなと思っています。

 

 

リスナーの取捨選択

人気になればなるほど、その期待は膨らんでいくものです。

期待というものは残酷で、意図せずところで発生し、意図せずところで裏切られたと感じられてしまいます。

ただ楽しく曲を作っていただけなのに、知らないところで期待され、失望されるなんてことはよくある話です。

こればかりはどうしようもありません。

大事なのは、自分にずっとついてきてくれる人たちの期待を裏切らないことなのかなと最近は思います。

 

人間には得意不得意があるので、自分には難しい要望を無理して叶える必要はないのではないでしょうか。

例えば、僕の曲の場合は、生音を使っているわけでもなく、ものすごくハイクオリティな作品を作っているわけではないと思っています。

よく耳にするのは、ギターを生音にした方がいい、もっと時間を空けてクオリティをあげたほうがいいなどです。

こういうコメントをしてくれる方々は、僕に期待をしているからこのようなコメントをしてくれていると思うのですが

僕の技術や方向性の問題でこれらをクリアするのは中々難しいのです。

なので、このような期待をしてくれるリスナーの期待はこれからも裏切ることになってしまうでしょう。

 

テーマとは少しそれますが、何故僕が高頻度で動画を投稿するのかを話しておこうと思います。

理由は何点かあるのですが、第一に楽しいからです。

投稿する度に様々な声がもらえ、新しく知ってもらえる機会も増えます。

それが何より嬉しいし、心から楽しいと思えるからです。

次に、今回のテーマと絡んだ理由になりますが

僕が大事にしているのはアクティブユーザー(リスナー)だからです。

まだあまり有名でもない僕の曲を見つけて聞いてくれる方ってよっぽどボカロが好きなんだと思うんですよね。

ランキングや検索機能、オススメを辿って知らない人の曲を聞くくらいなので、かなりボカロ熱があるリスナーなんだろうなという印象があります。

こういうボカロ熱があるリスナーを大事にできれば、固定で毎回聞いてくれるリスナーを確保していけると考えています。

ただ高頻度で投稿しているとその分飽きられるスピードも速いというのが懸念ですね。

こればっかりは飽きられないようにがんばりますとしか言えませんが...。

 

このように、ボカロP側はどんなリスナーを大事にするべきかの取捨選択が重要なのかなと個人的には思います。

 

 

ボカロPとリスナーの距離感

これは超個人的な意見なので参考にならないかもしれません。

僕的にはボカロPとリスナーは家庭教師と教え子くらいの距離感がベストなのかなと思っています。

要するに、遠すぎず近すぎずというやつです。

あまりに遠すぎると明らかに目上の人と見られてしまいます。

かといってラフに接しすぎるとオーラというか、尊厳死しかねません。

始めに言った通り、ボカロPとリスナーは対等であるべきだとは思いますが

好きになられる側としてそれなりの尊厳をもつ必要があります。

有名になればなるほどボカロPとリスナーの距離は離れていく傾向がありますが

僕はできる限り近い存在でありつつ、尊敬される存在でありたいと考えています。

 

 

まとめと感謝

 長々と語ってきましたが、僕のブログはどうしても目線が低い内容になってしまってますね。

もっと有名になって大きな存在になれば、その時にまた新しい発見があると思うので...がんばります。

嬉しいことにこのブログで僕を知ってくれたという方もちらほら耳にします。

こんな内容のブログに共感してくれる人は少ないかもしれませんが、そういった価値観を共有できる人とは今後も仲良くしていきたいなと勝手に思っています。

 

そしてそして

今年の目標として掲げていた、Twitterのフォロワー2000人とYouTubeのチャンネル登録者数5000人を達成することができました、ありがとうございます。

やはり目標は不可能な値ではなく現実的な値にするべきですね、達成することが大事。

ニコニコでの活動も広告のせいでずっと赤字続きだったのですが、最近は伸びも安定してきてようやく無理のない活動ができるようになりました。

チャイナガールもQTQTも、先日投稿した新曲の篝火もそこそこ安定してくれて嬉しいです。(ちなみにQTQTは再生数-15000,マイリス数-1640が正常値)

 

大体月一ペースの更新ですが、意外と読んでくれる方が多いようなのでがんばって更新していこうと思います。

これからもよろしくお願いします。

それでは。